真葛香山
1842年生。1916年(大正5年)没。京都出身。本名宮川香山。
明治4年、横浜の商人鈴木保兵衛に招きにより、現在の横浜市南区に窯場を開く。輸出向きの薩摩風の錦手を焼く一方、京焼と薩摩金襴手を合わせたような美陶を作って京焼の伝統を守り、得意としていた細工物を真葛焼と称する。
明治9年のフィラデルフィア万国博覧会を始め、内外の博覧会で数々の受賞を重ね、「マクズ・ウエア」と呼ばれて名声を博す。明治29年、帝室技術員を拝命。
※真葛とは、香山が生まれ育った京都の真葛ケ原に由来している。
※戦後、真葛焼は4代香山によって窯の復興が試みられるが、昭和34年、4代の死去により絶えたままとなる。
明治4年、横浜の商人鈴木保兵衛に招きにより、現在の横浜市南区に窯場を開く。輸出向きの薩摩風の錦手を焼く一方、京焼と薩摩金襴手を合わせたような美陶を作って京焼の伝統を守り、得意としていた細工物を真葛焼と称する。
明治9年のフィラデルフィア万国博覧会を始め、内外の博覧会で数々の受賞を重ね、「マクズ・ウエア」と呼ばれて名声を博す。明治29年、帝室技術員を拝命。
※真葛とは、香山が生まれ育った京都の真葛ケ原に由来している。
※戦後、真葛焼は4代香山によって窯の復興が試みられるが、昭和34年、4代の死去により絶えたままとなる。