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商品番号: SKU:24660

24660 棟方志功 (鐘渓頌「乞使(こつし)の柵」(棟方巴里爾識)) MUNAKATA Shiko

24660 棟方志功 (鐘渓頌「乞使(こつし)の柵」(棟方巴里爾識)) MUNAKATA Shiko

売約済

縦 50.0cm(70.0cm 額含む)

横 37.0cm(57.0 額含む)

現代美術の国際美術展覧会「ヴェネツィア・ビエンナーレ」に「湧然する者達々」などを出品しており、本初の国際版画賞を受賞しています。

棟志功は独の平的な構図を確させ、裏彩と呼ばれた版紙の裏からをれる技法をいた作品を制作しました。

また、柳宗悦と出会い、才能をいだされ、「芸運動」(「本藝美術館設趣意書」にある、常的や品の「の美」を活する運動)の陶芸家とも交流を深めています。

棟方志功と陶芸家の河井寛次郎の関係は言わずと知れた民芸運動を契機として仲間です。その棟方志功の版画の戦後第一作「鐘渓頌」24柵は、京都の河井の窯「鐘渓」の名で河井をたたえて作った作品シリーズです。疎開先に棟方志功はふるさと青森ではなく、しがらみがなく自由に暮らせる北陸、福光町を選んでいます。棟方は創作活動のかたわら、近くの小学校に呼ばれて、楽しそうに特別授業を行っていたそうです。また、棟方を訪れる人はだれとなく画室に招き入れて、板画の彫り方や摺り方まで教えたという。立山や富山湾などの自然に包まれ、福光町の素朴な子どもたちや人びととのふれあいなど、棟方にとっては居心地の良い、幸福な毎日だったと思われます。40代の最もあぶらののった時代を福光で過ごしています。福光に疎開してまもなく、民芸運動の仲間で棟方を導いた陶芸家、河井寛次郎に頼まれて、彼の新作展のために6枚の大作を描いています。河井はこの絵に最高の賛辞を贈っています。これに前後して、版画の戦後第一作「鐘渓頌」24柵を創作しました。「鐘渓」とは京都の河井の窯の名で河井をたたえて作った作品シリーズです。この地へ疎開した画家、歌人、文学者など、さまざまな芸術家との交遊の輪も広がり、地域文化の発展にも貢献しています。当時、近隣の町に疎開していたのは版画家織田一麿、歌人の吉井勇、水墨・俳画の下村為山、小説家の岩倉政治、書の大澤雅休、俳人の前田普羅らであり、多くの作家らと親密になった。二女の小泉ちよえは、当時を回想して「鯉雨画斎では水を得た魚のように、それまで以上に制作も進みました」(「青花堂」より)と記しています。福光では豊かな自然風土に囲まれて、自分の描きたい物を存分に描いた時期です。






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